わたしの父

2023年「父の日」

わたしの父は明治43年生まれ、二男二女の四人弟妹の長男でした。明治時代の長男ですので

特別に大事にされて育てられたと父の妹達(叔母達)は言っていました。

父は静かで穏やか言葉少ない人でした、家族は父一人が男で残り八人が女子とちょっと不均衡な

揃いでした。子どもの頃は女だらけの家だなとたまに思うことがありました。

家族の振り分けは、父、曽祖母、祖母、母、叔母、叔母の娘、姉、私、妹二人、少し変わって

いるなと思いますでしょう。その話は次の機会があれば話したいと思います。

今回は父の日ということで「父の思い出」を書きます。

父はあまり多くを語る人ではなかつたのですが特筆できることがあります。それは勤めから帰り

夕食の後、父は晩酌をします、父の晩酌が合図のようにわたし達は父を囲んで「なにかお話しして」

  今日はお父さんが中国の王様からごほうびをもらった時の話をしよう。「パチパチパチ」拍手

お父さんが中国に行った頃、蛮族が北から東から襲って来て国中が上から下まで大騒ぎ、その騒ぎを

治めたのが琉球から来た使節だつたお父さんだったのです。

王様は大層お喜びになって父に褒美をさずけると宮殿に父を招きました、大広間にとうされて

大臣たちの居並ぶ中の一番上段の席にお父さんは座りました見たこともないたくさんのご馳走だ

なにを食べようかと迷っていると、王様から特別にお父さんだけに分け与えたいものがあると、

家来がささげ持ってきた壺をお父さんの前におきました。

王様が言いました、この食べものは世にもまれなるもので王である私でも生涯に一度くちに

できれば幸運な王様と言われるほどのものなんだ。

壺の中をのぞいてお父さんは息を飲みました、それは金色に輝く✨液体のなかに黄金いろの

まるい˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚きらきらの物が浮いている💖王様がひとくちどうぞと勧めた、お父さんは

皿にうつされたきらきらに輝くまるいだんごのようなものを口に入れました、それはことばに

できない今までに食べたことのないまるで神さまがいただく菓子だと思いました。

お父さんが目を丸くして言葉を失っていると王様が笑っていました、「どうだね」

お父さんさんはこれほどおいしいものは食べたことがありません、王様この食べものは

なんというなの食べ物ですかと尋ねました?王様は「ほほほ」と満足げに笑って答えました。

  それはとても大変な時間と手間ひまかけたものだったのです。仕掛けはこうです、国中で

一番おいしい蜂蜜を大きな壺に入れて、毎夜、毎夜、家来たちが網を振りまわし蚊を取りその目を

蜂蜜に漬ける、、、何年も何十年も、、、蜂蜜は金色になり、目玉は黄金いろの菓子になる、その菓子が

一個になるまで長い長い年月を要する、、、。お父さんのおはなしはいつも不思議で楽しくて、大人になっ

た今だから笑って話せる夢物語り。

父のお話しは「ありの大移住」や「大蛇の腹越え」「ハブのトントン料理」エトセトラ、、、

わたし達はよるの寝る前の父のおはなしを聞くのがだいすきでした。父の日になるとひとしお

子ども頃の良き時代を思い出して父に感謝しています。父は八十歳で天に召されました。

お父さん明日は「父の日」です。お父さんのお話しは子どもであるわたし達の一番の宝物です。

色々いただいたプレゼントを思い出せないが、お父さんのお話しは姉妹が集まると懐かしく思い出し

語りあっています。天国のお父さんありがとうございます、そしておめでとうございます。

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